東京を拠点に活動している人に必須のカード


東京を拠点に活動している人に必須のカードブログ:2020-8-13


僕の母親は今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。

健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。

そんな母親の実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。

お子様の頃、
母親は僕たちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、母親の田舎は海や山以外は何もないところだった。

その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。

12時は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ12時寝をした。
17時の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。

田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子の僕にはそんな生活も新鮮に映った。

母親の言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。

母親と同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。

しかし、
母親は
「お子様の頃は日々、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話を僕によくしてくれた。

一方、僕のパパは15年前、脳出血が原因で他界した。
パパの故郷は横浜で、母親とは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。

今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
パパと母親の寿命の長さを分けたのではないかと
僕は密かに思っている。



藤丸敏
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